嫁タソは業務スーパーで買った冷凍チーズケーキが気に入ったようで、黙々と――しかし明らかに上機嫌で――スプーンを口に運んでいました。
1パックで1300キロカロリーくらいあるはずですが、嫁タソは非常に太りにくい体質なので、食べたいものを食べたいだけ食べています。
高校時代は短距離走を本気でやっていたらしく、それ以降、体質が変わったのだそうです。理屈はよくわかりませんが、特に運動している様子もないのに、40歳を過ぎた今でもウエストは細くて、ついでに胸もヒップも腕も脚も――筋肉質で細いままです。
機嫌が良さそうだったので、思い切って聞いてみました。
「セクハラされたことってある? 嫌なら言わなくていいけど」と、僕。「嫌なことを思い出させちゃったらごめんね」と添えました。
すると嫁タソは、「あるよ、あるある」と、なぜか嬉しそうに語りはじめました。
「前の事務所にいたときに、隠してたんだけど、タトゥーがバレちゃってさ」
嫁タソは商業デザインの仕事をしています。今はフリーランスですが、少し前まではデザイン事務所に勤めていました。
「タトゥー入ってるし、スタイルもいいから、いろんな男と遊んでるのがバレて離婚したんだって噂されたり、飲み会で酔った同僚の男に『俺にもやらせてよ』って言われたりもしたよ」
そう言って、なんだか楽しそうに微笑んでいました。
「私、2人しか経験ないのに。あ、あなたが3人目ね」
そういうことを言われると、性癖的に妄想が加速してしまうので、ちょっと興奮します。
僕は何度も書いていますが、自分のパートナーが他の男といちゃついていると嬉しくなるという、ちょっと変わった癖があります。
「フリーになってからも、離婚したんでしょ、子どもいるのに大変だね、なんて言われて――『仕事ほしいならわかるよね』なんて、気持ち悪い誘われ方もされたよ」
「タトゥーを理由に仕事を切られたこともあるけど、それはセクハラとは違うかな。…もしかしたら、パワハラとか、ただの偏見かもしれないけどね」
そういえば、嫁タソが僕の会社の仕事を初めて受けるとき、事前にこんな相談をしてきたのを思い出しました。
「私、タトゥーが入ってるんですけど、支障ないでしょうか? 仕事中はもちろん隠します。見えないようにします。それでも良ければ、ぜひ一度お話を聞かせてください」
僕はそのとき、こう答えました。
「反社と関係ないなら構いませんよ」
……今思えば、この言い方もちょっと無神経だったかもしれません。
本人から誠実にカミングアウトしてくれたのに、まるで「タトゥーがある=まず疑う」という前提で答えてしまったようなものです。
実際、嫁タソにはそういう目で見られてきた過去があるからこそ、あらかじめ聞いてくれたんだろうと、今になって思います。
ちょっと――いや、全然違う話ですね。
昔の幼なじみが、反社の構成員になって、全身に和彫りを入れていたことがありました。
数年後には、必死でお金をつぎ込んでその入れ墨を消していたのを思い出します。
あのしぶとい連中ですら「消したくなる」ほどの社会的な扱い――
タトゥーに対する日本の抵抗感は、今も根強く残っているのだと感じています。
嫁タソのタトゥーはおしゃれなデザインなのですが、若くない世代の一般人からすれば、ヤクザとの区別なんてつきません。
文化的な背景があるので、簡単な話ではありません。ただ、ドウェイン・ジョンソンのように、反社とは無関係のタトゥー文化が日本でも少しずつ認知されているのも事実です。ゆっくりと変わっていくのかもしれませんね。
嫁タソの機嫌がいいので、ついでにもうひとつ聞いてみました。
「それじゃあさ、僕と出会った頃……結婚する前に、仕事中、僕に『これはセクハラだ』って思うようなこと、されたことある?」
「別にないよ」と嫁タソは、残り少ないチーズケーキを口に運びながら言いました。「やたら優しいし、なんか……すごい見てるなとは思ったけど。嫌じゃなかったし、今こうして結婚してるってことは、そういうことだったんだよね」
――完全にバレていました。スレンダー美熟女がどストライクなので、それはもう、見てしまいますよね。
ちなみに嫁タソはワンオク(ONE OK ROCK)が好きで、メンバーにはタトゥーが入っています。
僕はというと、ワンオクはあまり好きではありません。アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)の方が好きです。
この話題で何度か夫婦喧嘩になったことがあるのですが、それはまた別の話です。
嫁タソのタトゥーには、たぶんワンオクの影響があるのではないかと思っています。
ちなみに――嫁タソのある部分には、前の旦那の名前と思われる文字が入っています。
消そうとはしていないようです。それを気にする様子もない。
むしろ、そういう過去ごと、自分はここにいるんだと、そう言っているような気さえします。
僕は、その文字を見るたびに、心の中でこうつぶやいています。
「一時期、君と愛し合っていたとびきりの女性は、今は僕の腕の中で寝ているよ。すまんな」