「寝たほうがいいんじゃないの」
クズ対決4を書いている間に紅茶を飲み終わったので、部屋からキッチンに行き保冷ポッドに氷水を用意していると僕を見つけた嫁タソが言いました。
「熱があるんでしょう」
「なんか眠れないんだよね。寝すぎちゃってさ」と僕は答えました。「眠くなったら寝るよ。一緒に寝てくれるかな」
嫁タソは「何言ってるの?」という表情を浮かべつつ、自分の仕事部屋へ歩いていきました。
祥子と会うのは3ヶ月ぶりくらいでした。
「話があるから今から部屋に行ってもいい?」と祥子から電話がありました。
祥子と別れている間、僕はマリと付き合い、同棲して、あっという間にまた一人に戻りました。
これは、痛かったです。短かったからこそ沁みるというか……自分の未熟さを思い知らされた経験でした。
僕は部屋にマリの写真とか、マリが使っていたマグカップとか、ハンドクリームとか、マリが置いていったものをそのまま放置していました。
祥子からの電話に「かまわないよ」と返事をしました。
写真を隠すようなこともせずに、そのままで祥子を部屋に入れました。
祥子は部屋に入るとすぐにマリの写真を見つけました。部屋中を眺めて、僕の顔を見ました。
「もう別れたよ」と僕は力なく言いました。
「ふ~ん」と微妙な表情を浮かべつつ、「だから関わるなって言ったのに」と祥子は言いました。
3ヶ月間でどことなく雰囲気が変わっていました。ちょっと美熟女感が出てきたというか、年上の男を狙っていたのか、落ち着いたメイクやファッションに変えていたように思いました。わかんないけど。
僕の状況を把握した祥子は、自分の話を始めました。
「なんか、さやさやと付き合ってる時はめちゃくちゃモテたんだけど、別れた途端、全然」と祥子は自虐的に笑いながら首を振りました。
「お見合いもしたけど、やっぱりそういう気になれないし、二股かけられたりもして散々」
「それは大変だったね」と僕は言いました。僕と付き合っていた時にめちゃくちゃモテた話を詳しく聞きたいと思いました。それが僕の性癖です。機会があればそのうち聞かせてもらおうと思いました。
「それで何の用?忘れ物でもあるの?」
「もう一回付き合ってほしいの。お願い」と祥子は言いました。
僕は少し考えてみました。でも、よくわからないので、考えるのをやめました。
「結婚したいから別れるとか言ってなかったっけ?」
「大学生と結婚してもいいって両親と祖母に許可もらった」と祥子は言いました。
僕は返事に躊躇しました。いろいろと頭が混乱していました。
「結婚は届けを出すだけで出来ると思うけど、生活費はどうするの?」と僕はまず聞いてみました。他にも色々と聞かなければ理解ができませんでしたがとりあえず。
「大学生と結婚するんだったら親が出してくれるって。私は主婦で、さやさやが大学生なら親が生活費出すのは当たり前だからって」
意味がわかんねぇ、と僕は思いました。
「ここで一緒に暮らすの?」と僕は古いアパートの部屋を見回しました。
「冗談でしょ。あんな女と住んでた部屋なんて絶対に無理。親が用意してくれるから大丈夫。お金はかからないよ」と祥子は言いました。
「結婚はちょっとというか、正直に言うと、また付き合っていいかどうか考えたいんだけど」と僕は言いました。
「ごめんなさい」と祥子は言いました。「私のこと嫌いになった?」
「いや、そういうわけでもないけど」と僕は言いました。
「それじゃぁ、とりあえずまた付き合おうよ」と祥子は満面の笑みで言いました。
僕はもう何がなんだかわからないまま、とりあえず頷きました。今となっては判断力がバグっていたとしか思えません。
その数カ月後には育った街を離れ、と言っても車で20分ほどの祥子の実家の近くの一軒家に二人で暮らすことになりました。
その家は多摩川上水沿いの住宅地にありました。大学は近くなりましたが、祥子の父親にバイクは危ないから用意した車に乗るようにと言われました。
僕は常々、自分が車を買える経済状況になったらマツダの白いRX-7を買うんだと祥子に言っていました。
都内の一軒家に新車のマツダの白いRX-7。
僕は、自分の理解を超えた世界に足を踏み入れたようでした。
祥子はケーキ屋をやめて、専業主婦となりました。家事をやって、決まった曜日の決まった時間にお花と着付けとゴルフを習っていました。
僕は祥子の作ってくれた弁当をRX-7の助手席に載せて、大学に通いました。大学のすぐそばに祥子の父親が駐車場を借りてくれました。車を見た大学の友人に宝くじでも当たったのかと言われるたびに「ビジネスが順調でね」と僕は嘘をついていました。
祥子の父親は表向きは建築会社の社長ということになっていましたが、実際は先祖から大量の土地を受け継いでいる地主で、その土地を店舗や学校に貸していました。
なんでなのかはわからないのですが、都内のいろいろな場所に土地を持っていました。また株主優待券も大量に祥子は持っていました。父親が使い切れない分をくれるとのことでした。
祥子の家自体も都内の街道沿いの数千坪の敷地に立っていました。庭に車回しがある家というものを僕は初めて現実で目にしました。
祥子の母親は小野小町の末裔らしいので、祥子も小野小町の末裔となります。もしそれが本当なら、僕の娘たちも小野小町の末裔です。
僕が大学4年生の時に祥子が妊娠しました。
僕は自分のビジネスが順調に育っていたので、卒業と同時に法人化して会社の社長になるつもりでした。
「就職しないと駄目だってお父さんが言ってる」と祥子が言いました。
僕は自分の人生に口出しされることに内心では、うるせぇなと思ってましたが、子供も生まれるし、普通に考えたら就職するのが最良の判断です。僕は祥子の父親に勧められるままに、業界でトップのメーカーに就職しました。
僕は郊外の工場の資材調達を行う部署に配属されました。
資材調達は工場ではおそらく最も多くの恩恵を受けられる部署でした。
原料メーカーの営業から接待を受ける日々です。22歳の新卒の僕にペコペコするおっさんたち。世の中って立場なんだなと実感しました。
僕だって外回りの営業に配置換えされれば、40歳になっても新卒のガキみたいなやつにペコペコして契約を取らなければいけなくなるわけです。サラリーマンは僕が思い描く理想的な人生とはとことん合致していない気がしました。仕事しながら自分のビジネスを膨らませて、嫌になれば独立すればいい状態を作っておかなければと考えました。
とはいえ、会社での生活自体はなかなか面白かったです。
僕の上司は恵子さんという30代前半のいかにも仕事できますという感じの熟女でした。なんでも、派遣で働きに来ている時に仕事ができるので社員に引き抜かれて主任にまで出世したそうです。
「『産めるもんなら自分で産むよ。産めないから頼んでるんだよ』と旦那が泣きながら頼んできたけどさ、遊びいけなくなるからヤダって断った」と恵子さんは仕事帰りに居酒屋で笑いながら言いました。「さやさや君はもうすぐ子供が生まれるんでしょ。凄いよね」
恵子さんは続けます。
「あんまりしつこいから、ブチ切れたふりしてテーブルをひっくり返せば黙るだろうと思ってさ、ちゃぶ台返ししようとしたら旦那に力任せにテーブル抑えられてひっくり返せなくて、この時ばかりは男に生まれたかったって思ったよ」と笑いながら言いました。
タフじゃないと生きていけないなと実感しました。
会社の話もまた機会があれば書きたいと思います。
就職して最初の夏に長女が生まれました。
僕の人生で最も心が震えた出会いでした。
この娘の結婚式が年内に行われるかと思うととても嬉しいのですが、祥子と僕の関係はなぜこうなってしまったのかと考えてしまうきっかけでもあります。
まだ続くと思います(*´ω`*)