クズ対決4 でも本当はクズじゃないのかも

「パパ、大丈夫?」と水曜日の朝に嫁タソに言われました。
僕は卵かけご飯を食べようとしていました。

仕事の帰りが徐々に遅くなり、帰宅後、食事も取らずに深夜まで部屋に籠もってパソコンに向かっているボクを心配してくれたようです。

前の奥さんと会うのが怖くて、自分を落ち着けるために過去を振り返って書いてるとは言えず「仕事が忙しんだよね」と答えました。

「程々にしないと、体壊しちゃうからきちんと自己管理してね」と嫁タソは目を細めてちょっと笑いました。

「うん、そうだね」とボクは答えました。

でも書きたいことがあったので水曜日の夜も構想をまとめて、木曜日の夜に2~3時間かけて書き上げようと思っていました。

ところが、木曜日の午後、仕事中にくしゃみが止まらなくなり、鼻と喉の痛みと、微熱が続いたまま今に至ります。コロナでもインフルでもないけど、できるだけ休んでくださいと医者に言われました。

明らかにオーバーワークしていたし、夜はろくに食事も取っていなかったので2週間で体重が3キロ落ちていました。

昨日は肉を食べて酒を飲んで、何度も息苦しくて夜中に目覚めましたが、9時間くらい寝たので充分休んだと思いますし、もう眠れません。ビタミン剤を飲みつつ、紅茶を飲みつつ、のんびりブログを書いていこうと思います。

祥子がケーキ屋で働いていたときのことです。どこに行った帰りだったのかは覚えていませんが、僕と祥子は駅から自宅に向かって歩いていました。

前から体にピタッとしたブルーのスカートスーツを着た女性が歩いてきました。小学校と中学校でまぁまぁ仲の良かった万里子という同級生でした。

リコと区別するために便宜的にマリと呼ばれていました。

マリが「久しぶり」と笑って僕に声をかけ、僕は「やぁ」とだけ答えました。
それだけのすれ違いだったけれど、その直後、祥子は言いました。

「なにあの女、上の下のくせに人のモノ、物欲しそうに見てさ」
「上の下ってなに?」と僕が驚いて尋ねると、
「ふん、出勤ご苦労さま~って感じ。絶対に関わらないでね、ああいうのとは」

服装的に、たしかに夜の仕事に見えたかもしれません。
マリが実際どこへ向かっていたのか、僕には分からないけれど――あのときの祥子の目の色だけは、今もはっきり思い出せます。

その数日後、ボクが一人で駅に向かう道でまたマリに会いました。祥子には関わるなと言われていたのですが、無視するのもどうかと思ったので、立ち止まって話だけしました。

 「この前あったとき一緒にいたのは彼女?」と聞かれました。
僕がそうだよと答えると「彼女、可愛いね」とマリは言いました。
そしてなぜか「初体験はいつ?」と聞かれました。「16歳」と僕が答えると「私も」と答えました。

「さやさやの部屋はベット?布団?」と聞かれたので布団だよと答えました。

「それじゃぁ、あの彼女とやるときは布団敷くの?ムード壊れちゃわない?」と聞かれたのですこし考えてから「そういう雰囲気になったら布団敷くね。興奮を抑えきれずにはぁはぁ、いいながら」と僕が答えるとマリは笑ってじゃぁまたねと歩いていきました。

久しぶりにあってする会話ではない気がするなと思い、ちょっと「はぁはぁ」している自分に気が付きました。

祥子がケーキ屋に就職してから徐々に会う回数が減っていきました。

遅番明けに早番が入ると、風呂に入る気力も体力もなく、帰宅して寝てまた出勤ということもあったそうです。

僕が祥子のお店に迎えに行って「どこかで、ご飯でも食べる?」と尋ねると「私、マフだからまっすぐ帰りたい」と祥子は言いました。

――“マフ”。それは業界用語で、一晩経ってしまったケーキのことらしいです。お風呂に入っていないとか、もう疲れて駄目だとか、そういう意味合いで使っているようでした。

社員が二人しかいないお店だったので、遅番の翌日に早番というシフトも頻繁にあったようです。

まっすぐに僕の部屋に戻ると、祥子はシャワーを浴びて寝てしまい、翌日も昼過ぎまで起きないなんてことが当たり前になりました。

一方僕は、大学で知り合った友人と一緒に、カナダやイギリスからドッグフードを輸入して、自社サイトやヤフオクや楽天で販売するビジネスを始めました。

これがボクの起業の第一歩なのですが、詳しいことはまたの機会に書きたいと思います。

大学に通いながらビジネスも始めたので、僕にも時間的な余裕がなくなっていました。

ビジネスが忙しくなるほど、祥子との時間はどんどん減っていきました。
久しぶりに祥子に会っても僕の部屋に来る事もほぼなくなり、2~3時間、車やレストランで話しをして別れるみたいなことが増えてきました。

でも、察するに、僕と会えない休みの日にはお店の仲間と頻繁に遊んでいるようでした。

――結婚もしていないのにセックスレスでした。

あの頃の僕は、仕事が軌道に乗ってきたという高揚感の中で、祥子との時間の減少に対して鈍感になっていたのかもしれません。
会ってもどこか気持ちがうわの空で、話の内容もうまく覚えていない日が続いていました。

祥子のほうも、最初は無理して明るく振る舞っていたけれど、次第に口数が減っていった気がします。
すれ違いというよりも、ゆっくりと心が離れていくような、でもその変化をお互い気づかないふりをしていたような、そんな時間が確かにありました。

そんな日々を送っていたある日のことです。

祥子と会うのは月に1~2回になっていました。
会うたびに祥子は目元の疲労感が増していました。

その日、祥子の目には、いじめられている子供のような光が見て取れました。

「私、もう結婚したいの。お見合いとかしようと思ってるから、別れてほしい」

冷たい言葉ではなかったけれど、結論だけが先にあるような言い方でした。
「本当にそれでいいの?」と僕は驚きを押し殺して訪ねました。

「さやさやが就職するまで待てない。もう仕事に行きたくない。ゴルフとか海外旅行に連れて行ってくれる人と結婚して仕事辞める」と祥子は言いました。

祥子の親は資産家でしたので、祥子は働かなくても生活に困ることはありませんでした。ただ、仕事をするか結婚するか、人に説明できる立場にいなければいけないという家訓でもあるのかなと感じていました。

その基準がなにかはわかりませんが、大学生やサラリーマンや主婦はOKで、フリーターや売れてないミュージシャンやお笑い芸人は駄目とか、何かの判断基準があったのだと思います。ちなみに僕が大学時代に始めたドッグフードの輸入販売も駄目だったようです。これは後に問題になりますが今回は触れないでおきます。

とりあえず、僕と祥子は、祥子が他の人と結婚したいという理由でお別れすることになりました。

このテーマで書くのは今回で4回目になりますが、書くほどに自分のクズっぷりを思い出しつつ、祥子が一方的に悪いと思ってたりしてたことも、自分が招いている部分も多々あるんだなと思いはじめました。

その時その時を必死に生きてただけなのかなという視点も振り返って書くことで僕の中で生まれました。

また続きを書いていきたいと思います。

ではまた(*´ω`*)