クズ勝負パート3

祥子と高橋の密会ドライブデート事件は、「友だちと会っていただけ」という祥子の言葉を信じることにしました。僕もリコと部屋飲みしていたわけなので、男女の友情はあるに違いないという結論に、半ば無理やり落ち着かせたんです。自分の正当性と祥子との関係を守るという観点では、それが一番合理的に思えました。

そんな頃、僕は高校生のとき、祥子と出会う前に付き合っていた元カノから手紙をもらいました。その手紙は今も大事に保管しています。文面は編集していますが、だいたいこんな感じでした。


さやさやへ

カナダは今、風が強いです。こっちの風は、日本の春先みたいに、肌寒いのにどこか透明で、背筋が少しだけ伸びる感じがします。

そっちはどうですか。あの校舎の廊下も、もうすっかり違う匂いになってる頃かな。

メールにするつもりだったけど、どうしても“手紙”というかたちで送りたくなりました。ちゃんと読んでくれるかな。

こちらに来て、ようやく少しだけ、生活に慣れてきました。授業はもちろん英語で、先生も生徒もとにかく速くて、最初はまったくついていけませんでした。でも、あの音楽室で「英検申し込んだ」って笑ってた自分を思い出して、なんだか負けたくないなって思えて、がんばってます。

いま、寮の部屋からこの手紙を書いています。窓の外には、赤い葉っぱの木が見えて、誰かがバイオリンを弾いています。上手じゃないけど、その音にちょっと救われたりして。

ねえ、さやさや。あのとき、私は自分の夢ばかり語っていたね。「カナダ人と結婚して、こっちで暮らすの」なんて、冗談みたいに言ったけど、あれは本気で夢だったんだ。ただ、あの頃はまだ、誰かと一緒に未来を考えるってことが、よく分からなかった。

でも、卒業式のとき──あなたが「夢、叶えてね」って言ってくれたの、ずっと覚えてる。本当は「行かないで」って言ってほしかったのかもしれない。でも、あのときのあなたの目を見て、私は自分で自分を信じなきゃって思ったんだ。

もし、いつかまた会えるなら、もう少し素直に話ができたらいいな。今の私は、あの頃より少しだけ、大人になった気がします。

最後に。あなたのこと、ちゃんと大事に思ってました。それは全部過去形ってわけじゃなくて、いまも、そうです。

じゃあ、またいつか。カナダの空の下から。


僕は事あるごとに、その手紙をデスクの引き出しから取り出しては何度も読み返して、もう遠くなりつつある日々を思い返していました。

思い出は思い出として、甘く、苦く、美しく、僕の中に残っていました。

現在に視線を戻せば、いろいろと問題は抱えているような気もするけど、賑やかで楽しい日々と言えなくもありませんでした。

自分のパートナーが他の男と楽しそうにしていると嬉しくなるという、少々変わった癖のある僕と、比較的オープンに自分の恋愛や性体験を話す祥子は、たしかに相性が良かったと思います。ちょっと歪ではありますが、今思えば、結婚まで至って子どもまで作った理由はこのあたりにあったのではないかと、変態を自覚した今では考えています。

祥子は専門学校の夏休みに、友だちに誘われてスイミングスクールのインストラクターのバイトを始めました。祥子は基本的に男とすぐに仲良くなるので、バイトをはじめて2週間もすると、先輩のインストラクターに交際を申し込まれたそうです。そのときの様子を楽しそうに話してくれました。

休憩中にプールサイドでお互いに競泳水着を着ていたそうです。

「ねぇ、俺と付き合おうよ」と言われた瞬間に、なぜか相手の男の股間のモッコリ視線を奪われてしまったそうです。

「モッコリ見せつけられて告白されたのはじめてだったから笑いを堪えるのに必死だったよ」と祥子は笑いました。「本当はニヤニヤしちゃってたと思うけど。そもそもバイト中、モッコリだらけだから目のやり場に困るんだよね」と満足そうにミルクティを飲んでいました。

「エッチなこと考えたら、こんにちはしちゃうよね」

多分、女子高出身なので、こういうノリが普通なのかなと思ったのですが、もちろん僕には女子校の雰囲気なんてわかりません。

また、専門学校の卒業旅行でヨーロッパに行ったのですが、旅行から帰ってきてはじめて会ったときに「ヨーロッパどうだった?」と僕が尋ねると「楽しかったよ」と答えました。

「ドイツだかオーストリアだかでサウナに入っていたら白人の男が素っ裸で前も隠さずに堂々と入ってきたんだけど、すげぇデカかった」

「なにが?」と僕が聞くと「ち◯◯、すげぇデカかった」ときっぱりと言いました。

もっと色々と詳しく話してくれたのですが、ただでさえ高くないこの文章の品位がどん底まで下がってしまうので割愛します。

祥子は専門学校を卒業すると、中央線沿線のケーキ屋に就職しました。祥子は親に車を買ってもらい、車で通勤していました。

僕は時折、祥子の車を運転して店まで送っていき、退勤時間に合わせて祥子の車で迎えに行きました。

店長は25歳くらいの、化粧が濃い目だけど明らかに美人の部類に入る女性で、社員は店長と祥子の二人だけで、他にはアルバイトが何人かいました。

僕はまぁまぁの頻度で送迎をしていたので、店長と他のスタッフとも顔見知りになりました。その中に、祥子の一つ年下くらいの大樹というアルバイトの男がいました。映像の専門学校に通っている、眼鏡でヒョロくて、偏見ですがオタクにしか見えませんでした。

しかし、この大樹が明らかに祥子に気がありました。祥子を見る目が、憧れと羨望の眼差しを隠せていませんでした。人の彼女なんだからすこしは遠慮しろと言いたくなるほどでした。

それだけではなく、時々店に顔を出す僕に対して、対抗心を抱いていると感じていました。

時間通りに迎えに行くと、忙しかったようで少し待っていてと祥子に言われ、店の隅っこで待たせてもらっている時に、店長が冗談っぽく「もうちょっとだけ祥子貸してね」と言いました。

すると大樹が会話に割り込んできました。

「あ、すみません、彼氏さんお待たせして。でも、今ほんと人手足りてなくて……祥子さん、すぐには返せないかもしれませんよ?」

お前に貸しているわけではないだけどな、と思いながらも「必要でしたら、なんでも、お好きなだけどうぞ」と笑顔を浮かべてました。

すると祥子が、「大樹くん、今日ずっと頑張ってたから、一段落するまでは付き合うよ」と言いました。

それがまぁ対応としては正解だと思いますが、大樹みたいなやつは、そう言われると勘違いして面倒なことになるんじゃねぇのって思いました。

僕と祥子は、祥子の車で奥多摩湖の源流部にある渓流へドライブに行きました。釣りをしている最中に偶然見つけた場所で、美しい景色だったので、いつか祥子に見せたいと思っていたんです。

その日、祥子はホットパンツに緑のチューブトップ、そして上に白いシャツを羽織っていました。胸の谷間とへそが見える、なかなか露出度の高い格好でした。でも、渓流には誰もいなかったので、気にすることなくシャツを脱いで、足を清流につけながらくつろいでいました。

誰もいない空間で、僕らは少しだけイチャイチャしました。

「きれいな場所だね」と、祥子は満足そうに言っていました。

後日、祥子は「お店のアルバイトの子たちと、あの渓流に行ってくる」と言いました。

「それはいいね。楽しんできてね」と僕は送り出しました。

数日後、僕の部屋で会ったとき、祥子は少し困ったような、照れたような表情で言いました。

「あの渓流、大樹くんと二人で行った。一緒に行く予定だった子が急に来れなくなって、二人で行くことになったんだけど、それを理由に中止するのは変かなと思って」

「もしかしてさ」と僕は聞きました。「僕と一緒に行ったときと同じ服、着て行ったのかな。へそ出してたやつ」

「色は違うけど、同じようなやつ」と、祥子は困っているのか照れているのか、なんとも言えない様子で答えました。

祥子が男と二人で、露出度高めの服を着て人気のない場所に行ったくらいで、彼女が僕に対して申し訳ないなんて思うはずがない。だから、あの微妙な表情の裏には、きっと何か別の理由があるはずだと思いました。

「それでね」と祥子は言い、いつも持ち歩いているLVLVとロゴの入ったバッグから小さなアルバムを取り出しました。「見てみて」と促されて、僕はそれを手に取りました。祥子の頬が、少し火照っているように見えました。

「可愛くない?」と祥子が言いました。

アルバムには、祥子の写真が並んでいました。

彼女は川辺の岩に片膝を立てて腰をかけ、斜め後ろから光を受けていました。黒のチューブトップと、その上に羽織っていた白いシャツは脱ぎかけで、肘までずり落ちていました。肋骨のラインがかすかに浮き、へそも見えていました。

大樹のレンズが狙ったのは、たぶん風景じゃなかった。被写体は、明らかに祥子でした。その目線はレンズから逸れていたけれど、表情はやわらかく、どこか微笑んでいました。

他にも、腰が軽く突き出るかたちで太ももからお尻にかけてのラインがしっかり写っている写真や、片手で髪をかき上げながらどこかを見上げるポーズで、胸のかたちがはっきりと浮かんでいるものなどがありました。

「大樹くんが大きなカメラ持ってきて撮ってくれたんだ。さやさやに見せたいって言ったら写真をくれたの」

「可愛いかもしれないけど、あいつの前でこんなカッコよくできたね」と僕は言いました。

「ヤキモチ焼いてるの?」と祥子が笑いながら聞いてきました。

「いや、別に」と僕はきっぱり答えました。

祥子はふいに、冷たく笑うと、独り言のように呟きました。

「あなたのこと、ちゃんと大事に思ってました。それは全部過去形ってわけじゃなくて、いまも、そうです」

「そこの引き出しに入ってる手紙」と祥子が言いました。

「恵って、だれ?」

その質問は急に来ました。話題はいつの間にか、あのカナダからの手紙に飛んでいたようです。

「祥子と会う前に付き合ってた人。手紙は……最近届いた」

「ふうん」と祥子は言い、少し間を置いてから、少しだけ眉をしかめました。

「どうせ浮気する度胸もないと思うけどさ。もししたら、私もするからね」

そう言って、ふざけたように前歯をカチカチと鳴らしました。冗談のつもりだったのでしょう。だけど、どこかその言葉には“本気の警告”が混じっているように感じました。

「噛みちぎるから」

「……いや、マジでやめて?」

「うそうそ」と祥子は笑って、冷めかけたミルクティーを一口すすりました。

「でも、思い出は大事にしなよ。私だって、そうしてる」

 

続きます(*´ω`*)