恵の夢
放課後の音楽室には、まだ西日の光が残っていた。
さっきまで鳴っていた吹奏楽の音はもう消えていたが、金管の余韻が天井の高い空間に、微かに残っている気がした。
どこか遠くで、誰かが椅子を引く音がして、それもすぐに静かになった。
譜面台の影が、床に長く伸びている。
角の取れた影が、薄く重なりながら、時間のかけらのようにそこにあった。
横川は楽器ケースを静かに床に置いた。
金属の留め具が小さく音を立てたあと、すぐに消える。
バッグの中を少し探ってから、彼女は小さなハンカチを取り出し、首元にそっと当てた。
その仕草は、習慣というより、静かな作法のように見えた。誰に見せるでもなく、無意識のままに、きちんと繰り返される動き。
「私ね、大学出たら、国際線のCAになりたいの」
横川は、自分の声の届く距離を確かめるように、静かに言った。
狭山は窓辺の椅子に腰かけていた。
背もたれには寄りかからず、少し前かがみに座り、窓の向こうに流れる雲を見ていた。
風が入ってくる。カーテンが音もなく揺れ、布の端が彼の肩に軽く触れたあと、また静かに離れていく。
「だから最近は、英語もちゃんとやってる。英検も申し込んだし、NHKのニュースも英語で聞いてるの」
横川は、膝の上でハンカチを折りたたんでいた。
その折り目を整える動きには、迷いがなかった。折りたたまれていく布とともに、彼女の言葉もまた、どこか整えられているようだった。
「それでね、いつかカナダ人と結婚して、あっちで暮らすのが目標」
言い終えたあと、彼女は静かに視線を下げた。
何かを確かめるような時間が過ぎた。
狭山は、彼女の目を見ようとした。でも、それができなかった。
思わず目をそらし、代わりに手元の木の床を見た。傷が何本もついている。昔つけたものなのか、誰かがつけたものなのかはわからなかった。
「カナダ人……?」
自分の口から出たその言葉が、思った以上に子どもじみて聞こえた。
言ったあとで気づいた。引っかかるような感情を、口に出すことでしか処理できなかった。
「……俺、日本人だけど」
沈黙のなかで、彼女はわずかに笑ったように見えた。
けれど、それは明確な感情の表現というより、彼女なりの間合いの取り方だった。優しさにも、距離にも取れる表情だった。
「うん、知ってるよ。これは、私の夢の話だから」
狭山は小さく息をついた。うなずこうとして、体が動かず、代わりに肩が少し落ちた。
夢。それは未来の話だった。
けれど、その未来に、自分が含まれていないことが、言葉より先に、はっきりと伝わってきた。
何も言わずにいても、その一点だけが、胸の内に確かな形で残っていく。
彼女を責めたいとは思わなかった。夢を語る彼女がまぶしくさえ思えた。
でも、その夢の外に自分がいることに、ただ、気づいてしまった。
床の上では、彼女のトロンボーンが光を受けていた。
楽器の表面が、窓からの光を細く反射している。誰の音も出さず、黙ったままそこにあった。
廊下の向こうで、音楽室の扉が閉まる音がした。
小さな音だったが、それが区切りのように響いた。
再び、静けさが部屋を満たした。
進路
夏休みを目前に控えたある日、廊下には湿り気を含んだ空気が流れていた。
午後の日差しは強いが、教室の中にはまだ梅雨の名残のような重たさが残っていて、どこか風の通りにくい空間だった。窓の外からは、くぐもった蝉の声がぼんやりと届いていた。
進路面談のために用意された教室の片隅。簡素な机と椅子が三つだけ置かれ、他の席はすべて壁際に寄せられていた。
担任の佐竹は、その小さな空間の中央に腰かけていた。
佐竹は物理を担当する教師だった。
四十代半ばくらい。少し落ち着いた服装で、常に上着の袖を一折りしていた。
無駄な言葉を使わず、質問には丁寧に応じ、生徒の顔と名前をしっかりと覚えていた。
教室でも声を荒らげることはなく、必要以上に感情を挟まないところが逆に信頼感を与えていた。
眼鏡の奥の視線はよく通っていたが、どこか柔らかさもあり、生徒たちが心のうちを打ち明けることも少なくなかった。
狭山もまた、佐竹に対しては警戒せずに話せる数少ない大人のひとりだと感じていた。
「このままなら、国公立も十分狙えますよ」
資料に目を通しながら、佐竹は穏やかに言った。
「特に英語が、よく伸びています。読解も作文も、去年の秋から見違えるように」
佐竹は言葉を選ぶように、少し間をとってから狭山の母へ視線を向けた。
狭山の母は、無表情に近い顔で、その言葉を受け止めていた。
テーブルの上に両手を置き、指先がかすかに組まれている。肩をすくめるでも、目を逸らすでもない、ただ静かな姿勢。
「でも……」
その声は、小さかったが、しっかりと響いた。
「うちは余裕がないんです。卒業したら、就職して、家計を助けてほしいと思っています」
抑揚を持たない語り方は、感情を抑えているというより、もともとそう話す人なのだと感じさせた。
狭山の父親は、去年の冬、浮気が原因で家を出ていってしまった。
佐竹は深くうなずいた。彼の中で、それがただの“保護者の意見”として通り過ぎることはなかった。
狭山は、黙っていた。
机の端に置かれたシャープペンの芯の箱を見つめていた。視線がそこに定まったまま動かない。
英語の成績が伸びていること。国公立を狙えること。
それは、もともと目指していた範囲内だった。
学費の負担の少ない国立。奨学金も視野に入れながら、手の届く現実として描いていた進路。
だが、目の前の会話は、その現実さえも削り取っていくようだった。
佐竹は少し間を置いてから、再び口を開いた。
「状況は理解しました。ただ、力のある生徒には、それなりの選択肢があるべきだと、私は思っています」
それは、事実を淡々と伝える口調だった。感情ではなく、理性から来る言葉。
けれどその芯には、狭山という一人の生徒を思う気持ちが、確かに宿っていた。
面談が終わると、母は何も言わずに立ち上がった。
廊下に出ると、空気がわずかに動いて、少しだけ涼しく感じられた。
外は明るかった。夏が近づいていた。
けれど、胸のなかにはその明るさとは別の影が静かに沈んでいた。
夏の午後
夏休みに入って数日が経っていた。
外では蝉が朝からずっと鳴いている。狭山の部屋はエアコンが効いていたが、空気が完全に冷えることはなく、肌にはどこか湿り気が残っていた。
午後の光がカーテン越しに差し込んでいて、部屋の中は、薄く、柔らかな明るさに包まれていた。
二人は並んで机に向かっていた。
開いた参考書のページに、恵は蛍光ペンで印をつけていた。
集中しているように見えたが、狭山には、それがどこか無理をしているようにも思えた。
何度か言葉を飲み込んでから、ようやく狭山は身体の向きを変えた。
机に肘を置いて、目の前の壁を見つめる。何かを見ているわけじゃなかった。ただ、気持ちを整えていた。
言うべきかどうか、迷っていた。
言葉にしたところで、彼女を責めることになるのかもしれなかった。
それでも、聞かずにはいられなかった。
窓際で揺れるカーテンが、恵の腕に光を落としていた。
その肌は透けるように白く、整った指先がノートをめくるたび、静かに空気をかき分けていた。
「この前……音楽室で言ってた、カナダのこと。あれってさ」
恵は、手を止めた。
顔を上げて狭山を見る。驚いた様子はなかった。
むしろ、そう聞かれることを、どこかで予期していたようだった。
狭山は目を逸らしながら、続けた。
「俺のこと、入ってないのかなって……ちょっと思ってさ」
言ってから、自分の声があまりにも静かだったことに気づいた。
それでも、今の自分にはその静けさが必要だった。
恵は数秒、黙っていた。
エアコンの風が壁をかすめる音だけが聞こえていた。
「夢の話だよ、あれは」
そう言ったときの彼女の声は、ゆっくりで、はっきりしていた。
「まだ、狭山に会う前の。ずっと前から考えてたこと。でも、それだけのこと」
言葉に、何の飾りもなかった。
狭山は、小さくうなずいた。胸の奥に残っていたざらつきが、すっと溶けていく感覚があった。
「誤解させてごめんね」
恵がそう言ったとき、狭山はもう、言葉を必要としていなかった。
目と声と、そして沈黙で、彼女が何を伝えようとしていたのかは、十分すぎるほど伝わっていた。
言葉は交わさなかったが、それは必要のない時間だった。
エアコンが動いているにもかかわらず、ふたりの体には汗がにじんでいた。
首筋を伝う汗を、恵が指で拭った。その動きは、どこまでも自然だった。
そこには羞じらいよりも、相手への信頼があった。
ベッドの枕元に置かれていた箱を、恵が手に取った。
蓋を開け、中からコンドームの小さな袋をひとつ選び出す。
「これ、ひとつもらっていい?」
狭山がうなずくと、恵はペンを取り出し、袋の表面に丁寧に文字を書いた。
ハートのかたちをひとつ、そして「秀斗」と。
文字は丸みがあり、落ち着いた線だった。
書き終えると、恵はそれを自分のバッグの内ポケットにそっとしまった。
「お守りにする」
恵は少しだけ笑った。
その笑顔は軽く見せかけたものだったかもしれない。けれど目は笑っていなかった。
本気で、何かを大切に思っている人の目だった。
狭山は、何も言わず、それを見ていた。
ただ、その静かな行為のなかに、恵のすべてが込められているように感じた。
彼女は、強い人だった。
美しさに頼らず、気持ちをまっすぐに言葉にすることができる。
透明な肌の奥に、燃え続けるものがある。
そして、それを伝える手段として、何かを大事に持つことができる人だった。
海辺の一日
夏休みのなかば、ふたりは一日だけ、海に出かけた。
受験勉強のあいま。ほんの短い遠出だった。
電車の窓から見える空は、最初どこか眠そうで、雲の層も厚かった。
けれど沿線の町をいくつか過ぎる頃には、ゆっくりと晴れ間が覗きはじめていて、狭山はリュックの肩ひもを無意識に握り直した。
その中では、水筒の氷が小さくカランと鳴っていた。
冷たい金属の筒を手にすると、汗ばんだ掌にひやりと吸い付くようだった。
海に着くと、潮の香りがすぐに鼻をくすぐった。
空はすっかり開けて、光が広がっていた。
砂浜は焼けすぎていない、ちょうどよい温度で、ふたりはサンダルを脱いで、素足で歩いた。
恵は淡い青のワンピース型の水着に、白いシャツを羽織っていた。
袖はくるくると肘まで折り返され、襟元のボタンは二つだけ外されていた。
露出は控えめだったが、そのぶん、肌の白さが陽に透けるように際立っていた。
潮風がシャツのすそをひらりと持ち上げ、彼女は手でそっと押さえながら笑った。
ふたりは波打ち際を歩き、浅瀬へと入っていった。
海水は驚くほど透明で、足元がはっきりと見えた。
砂の斜面が見えるほどで、水は光をたっぷり含みながら、揺らぎのなかで青から緑へとわずかに色を変えていた。
恵はシャツを脱ぎ、ためらいもなく水に入った。
肩まで沈むと、顔をしかめて「冷たい」とひとこと言い、すぐに笑顔に戻った。
濡れた髪が頬に張りついても気にせず、すいと水をかいて泳ぎ始めた。
そのフォームは整っていた。
強すぎず、弱すぎず、水にちょうどよく身体を預けていた。
光を反射する波が彼女の背を柔らかく照らしていて、白波の輪郭がほどけながらついていった。
狭山は少し遅れて、そっと水に身を沈めた。
水の冷たさが一瞬背筋をつたって、ひやりとした。
けれどすぐに慣れて、砂を踏みしめながら、波のリズムに体を預けた。
風が海から吹いてきた。
濡れた肌を撫で、腕にまとわりついていた水滴をさらっていった。
塩の匂いが胸のあたりにほんの少しだけ残った。
恵が近づいてきて、狭山の腕に自分の腕をそっと並べた。
「けっこう焼けたね、狭山」
狭山は自分の腕と彼女のそれを見比べた。
自分の肌は濃く焼けていて、恵は驚くほど白かった。
「白すぎだろ」と言うと、
「ちゃんと日焼け止め塗ってるから」
恵はそう言って、指先で自分の腕をひと撫でした。
「焼けると赤くなっちゃうの。痛くて嫌なの」
そう言って、また水の中へと歩を進めた。
その背中を、狭山は黙って見送った。
何も特別なことは起きなかった。
ただ、ひとつの静かな一日が、確かな感触とともに彼の中に沈んでいった。
かき氷の午後
泳いだあとの身体は、海風に当たって少し冷えていた。
砂を払って海の家のベンチに腰を下ろすと、背中に木の感触がゆっくりと広がった。
恵は髪を後ろでひとつにまとめていて、シャツをまた羽織っていた。
濡れた水着のラインが、シャツの布をところどころ暗く染めていた。
ふたりはかき氷を注文した。
恵はブルーハワイ、狭山はレモン。
プラスチックのスプーンが氷をすくうたび、かすかにきしむ音がした。
恵が最初に一口食べて、少し顔をしかめた。
それからスプーンを止めて言った。
「頭にくる、これ。でも、おいしい」
狭山はレモンを口に運びながら、うなずいた。
氷の甘さが、さっきまでの海の塩気を中和してくれるようだった。
しばらくして、恵が狭山の器をちらりと見て言った。
「ちょっと、交換してみる?」
狭山は「いいよ」と返し、器ごと恵の方に差し出した。
恵の指が器に触れると、そこに冷たさではなく、わずかな体温が感じられた。
「……色が違うだけで、味ってそんなに変わらないんだね」
「うん。でも、なんか気分が変わる」
恵は目を細めて笑った。
その笑顔はさっき海で見せたものとは少し違っていた。
光の反射がなくても、彼女の顔がやわらかく見えるときがある。そんなふうに思った。
氷を食べながら、恵がふと自分の腕を見た。
「やっぱり、あんまり焼けてないね、私」
狭山は自分の腕を伸ばし、恵の腕のそばに並べた。
はっきりと違いが出ていた。
狭山の肌は陽を受けて濃く焼け、恵は変わらず白かった。
「白すぎだろ」と言うと、
「ちゃんと日焼け止め塗ってるから」
恵はそう言って、指先で自分の腕をひと撫でした。
「焼けると赤くなっちゃうの。痛くて嫌なの」
「そういうの、ちゃんとしてるよな」
狭山が言うと、恵は「うん、まあ」とだけ言って、また氷をひと口すくった。
風が吹いた。
海の家の屋根のあいだから入り込んだ風が、ふたりの髪とシャツのすそを同時に揺らした。
空はすっかり晴れていて、遠くでカモメの声が小さく聞こえた。
もう少しで午後の時間が深くなる。
けれど今はまだ、その途中だった。
海沿いの帰り道
海からの帰り道、ふたりは海沿いのローカル線に乗った。
電車は単線で、窓は少しだけ開いていた。
ゆっくりと走る車両のなかに、塩を含んだ風が流れ込んでくる。
ベンチ型のシートに並んで座ったまま、恵は静かに外を見ていた。
海の家のシャワーを浴びたあとで、髪はまだところどころ湿っていて、首筋に軽く張りついていた。
風に当たるたび、シャツのすそがゆっくりと揺れた。
香りの中に、微かに石けんのような清涼感が混ざっていた。
陽は傾いていた。
窓の外には海が続いていて、光が水面に低く広がっていた。
ところどころに防波堤や、停まったままの漁船があり、波が静かにそれらを撫でていた。
狭山は、言葉を持たずに座っていた。
話すことはあったかもしれないが、いまはそれを求めていなかった。
恵の肩が、少しだけこちらに寄っていて、電車の揺れに合わせて、ゆるやかに触れたり離れたりしていた。
車内には他に人がいたが、ふたりのまわりだけが音を失ったように感じられた。
「……こういう一日、しばらく忘れてたかも」
恵がぽつんとつぶやいた。
声は小さかったが、不思議と明瞭に届いた。
狭山は少しだけ間を置いてから、言った。
「うん。
なんか……思い出すような、初めてのような」
恵は返事をせず、ただ窓の外を見たまま、微かに口元をゆるめた。
夕日が海を照らしていた。
水平線はぼやけていて、そこに吸い込まれるように光が沈んでいった。
そのあと、ふたりは何も言わなかった。
ただ、電車の振動と海風の音に身を任せていた。
すぐそばに体温を感じながら、それを確かめようともしないまま。
電車はゆっくりとカーブを曲がり、海の景色が遠ざかっていった。
それでも窓の端に、しばらく陽の色だけが残っていた。
二学期のはじまり
夏が終わり、二学期が始まった。
朝の空はまだ高く、陽射しにも余白が残っていたが、校庭の端には少しだけ長い影が差していた。
校門の前では、教師たちが立ち、生徒の持ち物を一人ずつ確認していた。
形式的な行事に見えて、その場にはどこか張り詰めた空気があった。
恵は、いつもと変わらない様子で登校してきた。
白いシャツの袖をきちんと折り返し、スクールバッグを肩から下げていた。
その歩き方にも、表情にも、異変は見られなかった。
だが、検査の手が彼女のバッグに触れ、中身をひとつひとつ確認していくうちに、空気がわずかに変わった。
小さな銀の袋が、ペンケースの奥から出てきた。
教師の手が止まる。光を受けて袋の表面が微かに反射した。
そこには、油性ペンで描かれた小さなハートマークと、
「秀斗」の文字が丁寧に書かれていた。
周囲の空気が、目に見えない膜のようにぴんと張り詰めた。
教師たちはすぐに声を荒らげたりはしなかった。
だが、その静けさの中に、確かな判断の重みがあった。
恵は目を伏せたまま、何も言わなかった。
教師たちは冷静に、恵を生活指導室へ案内した。
始業前の教室では、まだ夏休みの名残が漂っていた。
誰かが課題の確認をしていて、誰かが新しいノートに名前を書いていた。
狭山は、恵の席が空いていることに気づいていたが、理由を深くは考えていなかった。
間もなくして、教室の戸が静かに開いた。
佐竹が立っていた。
「狭山。……少し、来てくれるか」
声に圧はなかった。けれど、ただ事ではないとわかる重みが含まれていた。
案内されたのは、校舎の隅にある空き教室だった。
使われなくなった机が端に寄せられ、窓から差す光が床に長く伸びていた。
扉が閉まり、周囲の音が薄れていった。
佐竹は、机には座らず、立ったまま静かに口を開いた。
「今朝の検査で、横川さんの鞄から、君の名前が書かれた避妊具が見つかった」
「こちらとしても、本人の話を確認している段階だ。ただ、彼女は“自分のものだ”と答えている」
狭山は視線を下に落としたまま、少しだけ呼吸が浅くなった。
何かが崩れたというより、胸の奥が鈍くしぼむような感覚だった。
「僕が……悪ふざけで横川のカバンに入れました。
彼女は何も悪くないです。全部、僕のせいです」
佐竹は、遮らずに聞いていた。
その表情に怒りはなかった。ただ、慎重に現実を見つめようとする静かな意志があった。
「横川さん本人が“自分のものだ”と認めている。
だから、君の言い分は、正直なところ──苦しいと言わざるを得ない」
「今後の対応については、これから話し合いになる。
保護者への連絡も含めて、状況次第では指導を受けることになるかもしれない。
停学の可能性も、ゼロではない」
「ただ、それがすべて決まったわけじゃない。これから、どう説明するかによっても違ってくる」
狭山は、口を結んだまま、もう一度だけうなずいた。
それが抗うでも、納得するでもなく、ただ現実を受け入れる仕草になっていた。
「……でも、君のことは、よく見てきたつもりだ」
「春からの努力は伝わっていたし、成績にもそれはきちんと表れていた。
横川さんも同じだ。ふたりが互いに良い影響を与え合っていたことも、僕は感じている」
その声には、教師としての理性と、ひとりの大人としての信頼が入り混じっていた。
狭山は、もう一度だけ言った。
「横川は、何も悪くないです。僕が……ちゃんとしてなかっただけです」
佐竹は答えなかった。
けれど、そのまなざしには、聞くべきことはすべて聞いたという確かな理解があった。
翌日
恵が停学にならなかったことだけが、唯一の救いだった。
三階の踊り場。放課後の光が、手すりの金属に薄く反射していた。
狭山はひとりでそこに立ち、階段の下から誰かが上がってくる気配を待っていた。
夏休みの午後のことが、頭の中に繰り返し浮かんできた。
ベッドの端に座って、恵が「一個ちょうだい」と言って、
銀色の袋をつまみ、油性ペンでハートマークを描き、そこに“秀斗”と書いた。
いたずらっぽく笑いながら、それを自分の鞄にしまうまでの一連の動きが、
まるで昨日のことのように、鮮明によみがえってきた。
あのときは、ただ照れくさくて、でも少し誇らしいような気持ちで見ていた。
まさか、それがこんなかたちで見つかるなんて、思ってもいなかった。
今朝、教室で恵と顔を合わせた。
彼女は何もなかったかのように席についていて、机に教科書を並べていた。
「おはよう」と声をかけると、「うん」とだけ返ってきた。
それきりだった。
電話も、メッセージも送らなかった。
恵の家で、親が連絡を見ているかもしれないと思った。
そう考えると、何もできなかった。
そして、恵からも、連絡は来なかった。
階段を上がる足音がして、恵が現れた。
制服の着こなしは以前と変わらず、表情もいつものように穏やかだった。
けれど狭山は、やっぱり何かが違うと感じた。
その“何か”は言葉にできるものではなかった。
たとえば、目が合った瞬間のまばたきの速さ。
声をかけるまでに生まれた、ほんの一拍の“間”。
距離を詰めず、手すりを挟んで立った位置。
そうしたすべてが、恵の中にある決意をすでに物語っていた。
「親に言われたの」
恵は階段の手すりに肘を乗せたまま、遠くを見るようにして言った。
「狭山とは、もう会うなって」
狭山は、それ以上動かずにいた。
驚いたというより、予感していたことが形になって現れた、そんな感覚だった。
「……うちにも、学校から連絡があった。母さん、何も言わなかったけど。
俺の顔、見ないようにしてた」
恵はうなずく代わりに、手の甲を少しだけさすった。
その仕草に感情はこもっていなかったけれど、呼吸だけが浅くなっていた。
「俺、君の家に行こうかと思う。ちゃんと話せば……って」
その言葉に、恵ははっきりと首を振った。
「……だめ。恥ずかしい。無理。……コンドームに名前を書いた人って。さすがに、きついよ」
そう言ったあと、恵は視線を逸らしたまま、少し笑ったように見えた。
けれどそれは、笑顔ではなかった。
狭山は返す言葉を持たなかった。
ただ、それが自分ではどうにもならない現実だということは、はっきりわかっていた。
「……じゃあ、学校以外では、しばらく会わないようにしようか」
その提案に、恵は何も言わなかった。
けれど、ほんの少しだけまぶたを閉じるようにして、受け入れるような仕草を見せた。
どちらかが立ち去ることも、明確な約束を交わすこともなかった。
ふたりの間にあるものが、ことばより先に沈んでいっただけだった。
外では、誰かの笑い声がかすかに響いていた。
それが遠く感じられるくらいに、廊下の空気は静かだった。
リコ
扇風機の風が部屋の空気をゆっくり撫でていた。音はそれだけだった。テレビは消えていて、狭山は床にあぐらをかいたまま、ギターの弦を一本ずつ撫でるように指で触れていたが、音を出すわけではなかった。
インターホンが鳴ったのは、午後五時を少し過ぎたころだった。外はまだ明るかったが、日差しの色にはもう夕方の気配が混ざり始めていた。
玄関を開けると、リコがいた。Tシャツにカーキのスカート。手にはスーパーの袋。中にはポカリとスイカバーが見えた。
「ちょっとだけ、上がる」
そう言って、リコは勝手に靴を脱ぎ、慣れた動きでリビングに向かった。いつもと変わらないようでいて、どこか落ち着かない様子だった。
ソファの端に腰かけたリコは、袋からポカリを取り出し、テーブルに置いた。冷たいペットボトルの曇りがすぐに薄くなっていく。
「……この前の、あいつのことだけど」
それだけ言って、彼女は少し唇を噛んだ。
「ごめん。勝手に暴走して……ほんと、めんどくさい奴で」
狭山は床に座ったまま、ポカリに手を伸ばしてキャップを開けた。炭酸じゃないのに、開けた瞬間、微かな音が響いた。
「いや。お前がビンタしてくれたおかげで、助かったよ」
「ビンタしなきゃ、あいつ一生グチグチ言ってたと思う。でさ──」
リコは足を組み替え、背もたれに体を預ける。
「あいつ、最後に言ってた。狭山のこと、いいやつだなって」
「は?」
「けっこう素直に。何話してたの?」
狭山は肩をすくめた。
「神社巡りが趣味だとか……しょうもない話だよ」
「ふーん」
リコは一瞬、狭山の顔を静かに見つめた。
「……ねぇ、最近、なんか変だよね。」
狭山は、ポカリのキャップを閉め直した。
「変じゃないよ」
「変だよ」
言い返す声に強さはなかった。でも、それがかえって本気に聞こえた。
しばらく、何も言わない時間が流れた。リコが何かを待っているのを、狭山はわかっていた。
ポカリのラベルを指でなぞりながら、彼は小さく息を吐いた。
「彼女は守れない。大学も行けない。ギターも中途半端。バイクも……林田の件でビビってる」
言葉は途切れながら、低い調子で続いた。
「俺もう、なんにもやりきれない気がする。クズでカスなテルの気持ちが、今なら……ちょっと、わかる気がする」
沈黙が一拍、二拍と伸びる。
リコは、背筋をまっすぐにして座り直した。
小さな胸を、ほんのわずかに張るようにして、狭山の正面に向き直る。そして、真っ直ぐに見据える。
「狭山も、テルも、クズじゃない」
その一言は、形容しがたい静かな力を持っていた。
狭山は口の端をほんの少しだけ歪めて、皮肉混じりに返す。
「お前、あいつに思いっきり“クズでカス”って言ってたじゃん」
リコは視線をそらさず、肩を軽く落として言った。
「私が、いつも本音で話してると思ってんの?」
言い終えたあと、小さく息を吸った。
「本当……ガキっぽくて嫌になる。私だって、いろいろ考えてる」
声はかすかに揺れていたが、表情は崩れなかった。感情を制御するというより、そのまま晒していた。
狭山は、何も返せなかった。ただ、その静かな誠実さに打たれるように、黙って彼女の言葉を受け止めた。
リコは、もう一度だけ言った。
「……私は、テルも、狭山も──信じてるよ」
それは慰めではなかった。ただ、信じるという事実を伝えるだけの言葉だった。
扇風機の風が再び部屋をかすめていった。
狭山は目を伏せたまま、少しだけ頷いた。
リコは、立ち上がった。持ってきたアイスの袋を手にし、「じゃ、帰るね」とだけ言った。
玄関の戸が閉まり、家の中に再び静けさが戻った。
狭山は動かず、そのまま床に座っていた。ポカリのボトルはまだ半分残っていたが、手を伸ばす気にはなれなかった。
誰かに「信じてる」と言われたことが、思ったよりも重たく残っていた。
それは嬉しさではなかった。ただ、自分がその言葉に応えられる人間かどうかを、無意識に問われているようだった。
ギターに目をやったが、弾こうとは思えなかった。チューニングが狂った弦のように、今の自分の感情は何を鳴らしても響かない気がした。
窓の外で、誰かの笑い声が聞こえた。遠くから響く、季節の輪郭のような音。
狭山は、それを耳で追いながら、ようやくゆっくりと息をついた。
信じてる。──それは、励ましではなく、問いかけだった。自分の中に、答えがあるかどうかを探す、静かな問いだった。
別れ
十月の終わりだった。空はすっかり傾いていて、教室の窓際だけが妙に明るかった。西陽が斜めに差し込んで、机の角を白く照らしていた。誰もいない教室の中で、それだけが生きている感じがした。
狭山は鞄にプリントを詰めながら、紙の音がやけに耳に残るのを気にしていた。そばに気配を感じて顔を上げると、恵が立っていた。制服の袖を指先で押さえるようにして、言った。
「……ちょっと、いい?」
それだけだった。語尾に迷いはなかったが、目は合わなかった。
狭山はうなずき、ふたりは窓際に移動した。黒板から遠く、誰の気配も届かない一角。外では何か部活の音がしていた。笛の音か、声か、それとも風か、はっきりとは聞き取れなかった。
「ずっと、ちゃんと話せてなくて……ごめん」
恵は窓の外を見ながらそう言った。言い訳のようでも、報告のようでもなかった。
「……うん。俺も何言えばいいか、わかんなかった」
しばらく沈黙があった。誰かが机を引く音が、遠くの教室で響いた。
「最近さ、勉強、できなくて」
「俺も」
「……何やっても、頭に入ってこない。問題文の意味すらわかんないときがある」
「わかる。目で見てるのに、頭がどこにもいない感じ」
ふたりとも声を張らなかった。音を立てないように、そっと話すようにしていた。でも、それがかえって、教室の空気をじりじりと緊張させた。
恵が言った。
「……いったん、やめようか。付き合ってるの。ちゃんと、戻ろう。受験終わるまで、友達に」
狭山はすぐにうなずいた。
「それがいいと思う。お互い、今はそのほうがいい」
恵は一度だけ、狭山の顔を見た。目は静かで、でも、まるでそれ以上見ていたら何かが壊れそうな目だった。
「終わったら、また話そう。話したい」
「うん」
それだけだった。
何かを確認するように、またどこかに預けるように、ふたりは短い言葉を交わして、それきりだった。
しばらく誰も何も言わなかった。チャイムはまだ鳴っていなかった。
外の空は、すこし濁っていた。
転がる
狭山の父親は、去年の冬、浮気が原因で家を出ていった。
離婚は、思いのほか静かに成立した。家の中で声を荒げるような場面は一度もなく、いつの間にか夫婦の会話がなくなり、気がついたときには、玄関の靴が一足減っていた。
それまで専業主婦だった母は、家計のために就職を希望するようになった。履歴書を何度も書き直し、面接の日にはきちんとしたシャツに袖を通していた。
けれど、夏が過ぎ、秋の手前にさしかかる頃、家の空気が少しずつ変わり始めた。
母に新しい交際相手ができた。
彼は母よりも十歳以上は若く、背は低く、頭頂部が目立って薄くなっていた。
トヨタの白いセダンに乗っていて、休日になると決まってポロシャツの襟を立てていた。
そういう男だった。
最初のうちは、母もどこか遠慮がちにしていたが、いつしかその男は家の中で足を崩すようになり、冷蔵庫を勝手に開けるようになった。
狭山に対しても、最初から距離を詰めようという気配はなかった。
ある晩、台所で麦茶を注いでいた狭山に、彼は唐突に言った。
「高校出たら、家出てってくれるよな」
それは冗談ではなかった。
母も、狭山に家計を助けてほしいと言っていたはずのその母も、今ではその言葉などすっかり忘れてしまったようだった。
「高校まで出さしてやったんだから、あとは勝手にしなさい。くれぐれも、私たちの生活を邪魔しないように」
そう言った。声に感情はなかった。ただ言い渡すような口調だった。
それがよかったのか、悪かったのか――判断は難しい。
けれど、結果として、狭山の進学への道はかろうじて開かれた。
頼る人はいなかったが、逆に言えば、もう誰にも気を遣う必要もなかった。
あとは、学費をどうにかすれば、それでよかった。
冬
三学期のある日、廊下の窓がきれいに拭かれていた。
空気は乾いていて、手を洗ったあとの指先がすぐに冷たくなる。
教室のストーブが空気をゆっくりと撫でていた。
結果が出そろった週の、静かな午後だった。
狭山は一足遅れてHRに戻ってきた。席につく前に、恵と目が合った。数秒だけ。
何も言わなかったが、そこに言葉の必要はなかった。
そのあと、ふたりはほとんど自然に、階段の踊り場で再び顔を合わせていた。
チャイムのあとで廊下が空になり、階段には冷たい光が落ちていた。
「……おめでとう。志望校、受かったって聞いた」
恵が先に言った。
「横川も、おめでとう」
「うん」
恵は、ほんの少しだけ頷いて、それきり黙った。誰もいない。物音がしなかった。
しばらく、ふたりはそのまま立っていた。
狭山は、ゆっくりと一歩だけ近づいた。
ほんのわずかな距離だったが、恵は顔を上げて、まっすぐに狭山を見た。
その目には、不安も期待もなかった。けれど、どこかで“同じもの”を見ているような静けさがあった。
お互い、言葉にはしなかったけれど、きっと同じことを思っていた。
──あのとき、いったん離れようと決めたのは、間違っていなかった。
でも、気持ちはいまも変わっていない。
それだけは、確かめておきたかった。
狭山は、そっと唇を重ねた。
それは一瞬で、音のない仕草だった。
だけど、その一瞬だけで、ふたりの想いが、ちゃんとひとつのままだったことが伝わった気がした。
ふたりは、何も言わなかった。
けれど、それで十分だった。
その夜、狭山は自分の部屋でギターを抱えたまま、音は出さずに指を置くだけでコードの形をたどっていた。
遠くで風が鳴っていた。家の隙間を縫うように、すうっと冷たい空気が吹き抜けていった。
もうすぐ、会わなくなる。恵は違う大学に進む。今のように廊下ですれ違ったり、授業のあとでノートを見せ合ったり、何かの拍子で手が触れることもない。
けれど──隠れてなら、会えるかもしれない。
親には言えなくても、嘘をついてでも、時間を作れば。
それがいいことなのかどうかは、もうわからなかった。
ただ一つ、今日、階段の踊り場で感じたあの静けさのなかで、彼女の目を見て、心のどこかで思っていた。
やっぱり、まだ好きだ。単純に、子供っぽく、でも誤魔化しようのない意味で。
それをどうするか、決めなきゃいけない。そう思った。
外の風の音が、また一段強くなった。
狭山は目を閉じた。なにも弾かずに、ギターを抱えたまま、しばらくじっとしていた。
卒業
卒業式が終わったあとの校舎には、妙な静けさが漂っていた。
誰もがそこにいたはずなのに、声の響きはくぐもって、足音すらよそよそしかった。
外からの光がやけに強く差し込んで、廊下の床を白く照らしていた。
制服の青が、光に溶けそうだった。
階段の踊り場で、狭山は横川の姿を見つけた。
彼女は、大きな黒いケースを抱えていた。いつもと同じように、やや体を傾けて持っていた。
中にあるのは、金色の管が鈍く光る、彼女が吹いていた楽器──名前は知らないが、重さだけは知っていた。
階段を降りようとした横川が、ふと足を止めた。
重さのせいではなかった。どこかで、誰かの目を気にしているような、そんな間だった。
狭山は声をかけた。
「持つよ、それ」
横川は少しだけ顔を動かして言った。
「……いいのに」
「いいって」
それきり、言葉はなかった。
彼女はケースの取っ手をそっと渡した。渡すというより、手放した。
そのとき、指先がふと触れた。少し冷たくて、乾いていた。
階段を降りるあいだ、ふたりは黙っていた。
狭山は少し前を歩いた。横川はその後ろを静かに追ってきた。
制服のスカートがふわりと揺れる音だけが、小さく続いていた。
昇降口の前で、ふたりは立ち止まった。
「ありがとう。……重かったでしょ?」
狭山はケースを横川に返しながら、首を横にふった。
「ううん、大丈夫」
返したあと、狭山は少しだけ視線を落とした。
ケースを受け取った恵の指先が、かすかに震えていた気がした。
言葉が喉まで上がってきて──けれど、口を開くことはできなかった。
ふと、思い出していた。
海沿いの電車に並んで座った、あの夏の夕暮れ。
風が吹き込み、恵の髪がそよいで、首筋にかかるたびにゆっくりと揺れていた。
波の音が車窓の外に流れていた。
陽は傾き、海の水面をゆっくりと染めながら沈んでいった。
そのとき、彼女がほんの少しだけ、自分の肩にもたれるようにして座っていた。
なにも言わずに、ただ隣にいるだけの時間。
それが、なぜかすごく愛おしかった。
……あのとき、自分はどう感じていたのか。
今になって、はっきりわかる。
あの時間の続きが欲しかった。
もう一度、ちゃんと付き合いたいって──そう思っていたんだ。
いま、この場で言わなければ。
そう思った。
でも──その言葉を飲み込んだ。
ほんの少しの沈黙があった。
春の風が外から吹き込んできて、紙くずをひとつ、廊下の奥へ運んでいった。
狭山は、横川の顔を見た。言おうとした言葉はあった。
でも、出てきたのはちがう言葉だった。
「夢、叶えてね」
それを言った自分を、どこか遠くから見ているような気がした。
横川はうなずいた。表情がわずかに揺れた。
驚きだったのか、そうではなかったのかはわからなかった。
けれど、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「狭山も頑張ってね」
狭山が手を差し出すと、恵は一瞬だけ目を伏せ、それから笑わずに握手を返した。
指先は冷たかった。でも、ちゃんと力がこもっていた。
ふたりは、何も言わずに歩き出した。昇降口を出て、ほんの数歩だけ並んで歩いた。
陽射しは斜めで、ふたりの影が長く伸びていた。
分かれ道に差しかかると、自然に、それぞれの方向へ足が向いた。
そのまま、歩き続けた。
どちらも振り返らなかった。