リコバンド 2話

「──準備完了!」

場の空気を切るように、キムの手がパン、と音を立てた。

「本番行くぞ。リコ、サヤ、テル、最終確認」

簡潔な指示に、リコが「へーい」と手を挙げ、マイクスタンドのほうへ歩いていく。

テルはスティックをくるくると指先で回しながら、無言でドラムセットへ。

サヤもギターケースのファスナーを開け、楽器を取り出す。その手つきにはすでに日常のリズムが戻っていた。

わたるは祐介に「入口の確認頼むわ」と声をかけ、ふたりはまた持ち場へと戻っていく。

会場にはすでに客が入っており、立ち見の観客たちがざわざわと話し声を交わしていた。スモークの匂いと、わずかに汗の混じった空気が渦巻いている。ロビーからホールに戻ってきたグループが、ドリンク片手にステージを見やりながら位置を探し合っている。照明が交差する中、スマホの画面がちらちらと光る。

フロアの端では、わたるが数人のやんちゃそうな高校生たちと肩を組んで笑っていた。ひとりはピンクのジャージに金のネックレス、もうひとりは毛先だけ青く染めたツーブロック。地元のヤンキー界隈では顔の利く連中らしい。わたるが笑いながら指をさすと、一人が腹を抱えて前かがみになった。

「……あいつら、ほんと目立つな」

サヤはギターのシールドをアンプに繋ぎながら、半ば呆れたようにつぶやいた。

わたるはちらりとこちらを見て、指を二本立てて「あと二分な」とだけ合図を送る。

開演直前、メンバーが自然とドラムセットの周りに集まり始めた。リコがマイクチェックを終えて戻ってくると、サヤもシールドを手にしたまま足を止め、テルはスティックを手の中で組み替えながら軽く息を吐いた。

キムは少し離れたところからゆっくりと近づき、みんなの顔をひととおり見回した。そして、少し間を置いて、口を開く。

「難しいことはいい。いつもどおりやるだけ。それで十分だ」

その声は大きくなかったが、妙に芯があって、空気のざわめきの中でもはっきりと届いた。

リコは鼻で笑い、「会場の男はみんな、あたしに惚れる」とふてぶてしく言い放った。顎を少し突き出し、ドクターマーチンのつま先で床を軽く蹴る。その態度には自信というより、もはや確信が滲んでいる。

サヤは小さく肩を上下させながら、ギターのネックを握り直した。横顔には緊張よりもどこか覚悟のようなものが浮かんでいた。

テルは表情を変えず、ただ静かにドラムスローンに腰を落とした。その瞳には、誰よりも深くステージを見据える集中が宿っていた。

「……行こう」

開演直前、ステージ脇でわたるがマイクを握った。

「──気合い入れてぶっ飛ばしてけやァァア!! 根性見せろゴラァ!!」

まるで暴走族の集会さながらの怒鳴り声に、場内にいた仲間たちから拍手と歓声が上がった。フロアのあちこちで肩を叩き合う音、笑い声、スニーカーが床を鳴らす音が入り混じり、空気が一気に荒々しく熱を帯びた。

祐介はその横で無言でうなずきながら、入り口のほうを気にして立っていた。表に立つのはわたるだが、実際に揉め事が起これば、動くのは祐介だった。普段は寡黙な彼が、ひとたび前に出れば、誰も逆らおうとはしない。観客の流れを見渡す背中には、静かな威圧感がにじんでいた。

照明がふっと落ち、軽い緊張がフロア全体を包み込んだ。ざわめきがすっと引いていく。

最初に鳴ったのは、ドラムだった。テルがスティックを高く掲げ、思いきり振り下ろす。鋭いスネアの音が空気を切り裂き、次の瞬間にはバスドラムが重く床を鳴らした。続けざまにハイハットが刻まれ、音の輪郭が立ち上がる。

そこへ、雑音のようなギターが割り込んできた。サヤが肩を揺らすこともなく、だるそうな顔つきのまま、ピックでゴリゴリとパワーコードを掻き鳴らす。その音はまるで壁のように粗く、聴く者を押し返すようだった。

リコがマイクを握り、ゆっくりと前へ出る。そして唐突に、口を開けて舌を突き出した。ジョニー・ロットンの真似だ。観客のざわめきが再び膨らむ中、彼女はそのまま絶叫するように歌い始めた。

セックス・ピストルズの「Bodies」。

サヤはリズムを保ちながら、ちらりとリコのほうを見た。彼女はきっと、歌詞の意味なんてほとんど理解していない。ただ、勢いとノリでシャウトしている。それが逆に、生々しい迫力につながっていた。

横川も、最初の数フレーズを聞いた瞬間、小さく肩をすくめた。 ……歌詞やば。

英語が得意な横川には、内容がすぐに伝わってきた。衝撃的で、吐き気がするようなフレーズ。なのに、目が離せなかった。

リコの叫びは、粗削りで奔放だった。歌詞の意味を理解せずとも、その叫びにはまるで火の粉のような勢いがあった。恐れも恥じらいもなく、ただ衝動だけがマイクにぶつけられていた。

そして、ふとベースの音に意識が向いた瞬間、横川は息を呑んだ。

──なんだろう、このベース。

キムの指が、流れるように弦をはじき、叩き、跳ねる。いわゆるスラップ奏法だ。高校生のアマチュアバンドとは思えないグルーヴと躍動感が、リズムの底からバンドを引き上げていた。

サヤやリコが放っているラフなエネルギーとは、明らかに違う。キムだけが、まるで別次元の安定感でこのバンドを支えていた。

そのあとも「Anarchy in the U.K.」「Pretty Vacant」「God Save the Queen」と立て続けにピストルズの代表曲を叩き込んでいくたびに、フロアの温度がぐんぐん上がっていった。観客たちは腕を振り上げ、跳ね、叫び、汗と歓声が入り混じった空間がステージを飲み込んでいく。

リコのシャウトは荒く、サヤのギターはひたすら前へ突き進み、キムのベースはそれらすべてを支えながらも次々と音を押し出した。テルのドラムが突き上げるようにリズムを刻み、ライブハウスの床が揺れていた。

最後の音が響き終わると、リコはマイクを握ったまま、肩で息をしながらステージ中央に立った。

「……彼氏、募集中だからぁぁぁッ!!!」

その叫びに合わせて、サヤのギターがビリビリと空気を裂くような一音をかき鳴らし、テルのスネアがそれにかぶせて鋭く一発を打ち込んだ。

唐突な叫びに、場内が一瞬ざわつき、そのあと爆笑と歓声が巻き起こった。

ステージの隅でキムが、少し息を整えながら、それでも抑えきれない笑顔を浮かべていた。照明の陰影の中で、その表情は穏やかで、どこか誇らしげだった。

こうして、リコバンドのステージは嵐のような熱狂と笑いの中で幕を下ろした。