3話 ホーム

駅前の焼き鳥屋から「ホーム」へ

リコに引っ張られるようにして、駅前から細い路地へ入った。

古びたビルの裏手に、小さな鉄の扉があった。 周囲はすっかり夕闇に沈み、街の喧騒もここまでは届かない。

リコがポケットから鍵を取り出して、慣れた手つきで鍵を回す。 カチャリ、と音がして、扉が開いた。 リコが軽く顎をしゃくる。

ボクは何も言わずにそのまま店の中に入った。

中は薄暗かった。 客席の照明は落ちていて、カウンター奥の厨房だけが小さな作業灯でぼんやり光っていた。

棚いっぱいに並んだグラス。 赤いベルベットの布で覆われたカウンター。 壁にかかる少し色褪せたポスター。

古びた匂いも、革張りのスツールの擦れた手触りも、 何もかも、昔から変わっていなかった。

「生が良いよね」

リコは慣れた動きでカウンターに入り、生ビール用のサーバーをセットした。 ジョッキに泡立つビールを注いでいく。

ボクはカウンター席に腰を下ろした。 スツールがきい、と小さく音を立てた。

そのとき、カランと表のドアが開く音がした。

「また勝手に入ってるよ、この子たち」 ママはあきれ顔で、でもどこか楽しそうに笑った。

リコは手をひらひら振った。 「いらっしゃーい、ママ」

ボクも軽く頭を下げた。

「サヤ君、元気にしてたの?」 ママがにこやかに声をかけてくれる。

「ええ、まあ……」

ボクは少し照れながら答えた。 リコとふたり、カウンターに並んで座る。

生ぬるい空気の中で、 ビールジョッキを合わせた。

「乾杯2回目」

「……乾杯」

泡立ったビールを流し込む。 口の中に広がる苦味と、喉を通り抜ける冷たさ。 胃に落ちる感覚だけが、妙に鮮明だった。

森との再会

そこへ、カウンター奥のドアが開く音がした。

森万里子が、裏口から店に入ってきた。 肩にかけた小さなバッグを揺らしながら、カウンターに近づく。 黒いワンピース姿に、まだ外の熱気をまとっていた。 頬がほんのり赤く、首筋にかすかに汗が滲んでいる。

こちらに顔を向けて、ふわりと微笑む。 「あ、リコ来てたんだ」

リコは缶ビールを軽く持ち上げた。 「ちーす」

森はその隣に目をやり、ボクを見つけると、ふわっと笑った。 「サヤ、久しぶり」

ボクも、 少しだけ背筋を伸ばして笑った。 「……久しぶり」

森は特に何も言わず、 カウンター奥の棚にバッグを置き、エプロンを取り出して腰に巻き始めた。 長い髪が、軽く揺れる。 動くたびに、まとった柔らかな気配が空気を撫でた。

ボクは、思わず視線を奪われた。

──変わらない。 いや、変わったのかもしれない。

中学の頃、体育館で見た森。 バスケットボールを追いかける、揺れる髪と、 無意識に目を引く体のライン。

あの頃の記憶が、 ぼんやりと蘇った。

リコがビールを一口飲み、 カウンターに肘をついた。 「こいつ、また振られたんだよ」

ボクはため息をついた。 「……またって言うな」

リコはへらっと笑った。 ボクは苦笑いして、 わざとらしく手で顔を隠すふりをした。 「それ以上言うと泣いちゃうから、やめてください」

森が小さく吹き出した。 リコも肩を揺らして笑った。

空っぽの店に、 乾いた笑い声だけが、 ゆるく広がった。

続くはず(*´ω`*)