駅前の焼き鳥屋から「ホーム」へ
リコに引っ張られるようにして、駅前から細い路地へ入った。
古びたビルの裏手に、小さな鉄の扉があった。 周囲はすっかり夕闇に沈み、街の喧騒もここまでは届かない。
リコがポケットから鍵を取り出して、慣れた手つきで鍵を回す。 カチャリ、と音がして、扉が開いた。 リコが軽く顎をしゃくる。
ボクは何も言わずにそのまま店の中に入った。
中は薄暗かった。 客席の照明は落ちていて、カウンター奥の厨房だけが小さな作業灯でぼんやり光っていた。
棚いっぱいに並んだグラス。 赤いベルベットの布で覆われたカウンター。 壁にかかる少し色褪せたポスター。
古びた匂いも、革張りのスツールの擦れた手触りも、 何もかも、昔から変わっていなかった。
「生が良いよね」
リコは慣れた動きでカウンターに入り、生ビール用のサーバーをセットした。 ジョッキに泡立つビールを注いでいく。
ボクはカウンター席に腰を下ろした。 スツールがきい、と小さく音を立てた。
そのとき、カランと表のドアが開く音がした。
「また勝手に入ってるよ、この子たち」 ママはあきれ顔で、でもどこか楽しそうに笑った。
リコは手をひらひら振った。 「いらっしゃーい、ママ」
ボクも軽く頭を下げた。
「サヤ君、元気にしてたの?」 ママがにこやかに声をかけてくれる。
「ええ、まあ……」
ボクは少し照れながら答えた。 リコとふたり、カウンターに並んで座る。
生ぬるい空気の中で、 ビールジョッキを合わせた。
「乾杯2回目」
「……乾杯」
泡立ったビールを流し込む。 口の中に広がる苦味と、喉を通り抜ける冷たさ。 胃に落ちる感覚だけが、妙に鮮明だった。
森との再会
そこへ、カウンター奥のドアが開く音がした。
森万里子が、裏口から店に入ってきた。 肩にかけた小さなバッグを揺らしながら、カウンターに近づく。 黒いワンピース姿に、まだ外の熱気をまとっていた。 頬がほんのり赤く、首筋にかすかに汗が滲んでいる。
こちらに顔を向けて、ふわりと微笑む。 「あ、リコ来てたんだ」
リコは缶ビールを軽く持ち上げた。 「ちーす」
森はその隣に目をやり、ボクを見つけると、ふわっと笑った。 「サヤ、久しぶり」
ボクも、 少しだけ背筋を伸ばして笑った。 「……久しぶり」
森は特に何も言わず、 カウンター奥の棚にバッグを置き、エプロンを取り出して腰に巻き始めた。 長い髪が、軽く揺れる。 動くたびに、まとった柔らかな気配が空気を撫でた。
ボクは、思わず視線を奪われた。
──変わらない。 いや、変わったのかもしれない。
中学の頃、体育館で見た森。 バスケットボールを追いかける、揺れる髪と、 無意識に目を引く体のライン。
あの頃の記憶が、 ぼんやりと蘇った。
リコがビールを一口飲み、 カウンターに肘をついた。 「こいつ、また振られたんだよ」
ボクはため息をついた。 「……またって言うな」
リコはへらっと笑った。 ボクは苦笑いして、 わざとらしく手で顔を隠すふりをした。 「それ以上言うと泣いちゃうから、やめてください」
森が小さく吹き出した。 リコも肩を揺らして笑った。
空っぽの店に、 乾いた笑い声だけが、 ゆるく広がった。
続くはず(*´ω`*)